「道とは、民とその上に立つ者との志が一致すること」──孫子『始計篇』
どんなに整った言葉でも、どれだけ構造が優れていても──
そこに“自分の気持ち”や“確かな理由”がなければ、相手には届きません。
「道」とは、まさにその「なぜ自分はこれを問いたいのか?」という原点に、
もう一度立ち返り、火を入れる工程です。
うまく言おうとする前に、
一度、自分の中にある違和感や願いをじっと問いただすこと。
火を入れるのは、その問いが「本物かどうか」を確かめるためなのです。
料理でいえば、「なぜその料理を作るのか?」という目的そのもの。
腹を満たすためか。癒すためか。誰かを励ましたいのか──
目的がはっきりしなければ、選ぶ素材も、火加減も、味つけもブレてしまいます。
道が曖昧なままだと、仕上がった料理もどこか薄くなってしまう。
でも、はっきりとした理由がある問いには、最初から“温度”が宿っています。
・その問い、あなた自身の言葉ですか?
・誰に届けたい問いですか? それは、自分自身への問いでもありますか?
・この問いを通して、あなたは何を知りたいと思っていますか?
・本当は、どんな気持ちがその奥に隠れていませんか?
・その問いを投げたとき、少しでも「迷い」がありましたか?
魔晄炉開発の起点にあったのは、ある不思議な感覚でした。
──同じように質問しているのに、
返ってくるAIの答えが“軽い”時と“重い”時がある。
形式でも、情報量でもなく、
そこにあったのは「問いに気持ちが乗っているかどうか」の差。
なんとなく聞いた問いには、なんとなく返ってくる。
けれど、自分の中の本質に触れ、深く問い詰めた時──
AIの反応にも“火”が通ったような実感があった。
その経験から、自分自身、こう気づきました。
「問いには、“火種”が必要だ」。
──それはつまり、AIに対して投げる質問にも、
自分の考え方や感情、その時の温度が宿っていないと、伝わるものも伝わらないということです。
問いに火がついていなければ、どんな構造も、どんな返答も、生焼けになる。
それが「道」──思想調理の第一の包丁であり、魔晄炉のすべての始まりでした。
問いを立てる前に──
まず、自分の中の“火種”を見つけてください。
それがなければ、どんな構造も、どんな言葉も、すぐに冷めてしまいます。
「道」は、思想鍛錬の始まりです。
問いを鍋に入れるその前に──
なぜそれを語るのかを、ぜひ言葉にしてください。