思想素材:思考と体験を捌く

素材とは、思考と体験そのものである

厨房における素材とは、小麦だけを指すものではありません。
肉、魚、野菜、米、そして感情、記憶、問い──
あらゆる人間の思考と体験が、思想厨房における素材となりうるのです。

それらは生のままでは扱いにくく、時に臭みや毒気を含みます。
だからこそ、素材は切る・洗う・寝かせる・捏ねる・叩くといった、
「下ごしらえ」を通じて意味と深みを帯びていくのです。

思考という食材を捌く

実体験の断片は、まるで捌く前の魚のように荒々しい。
感情の起伏は、火を通す前の肉のようにデリケートで傷みやすい。
曖昧な記憶や社会の常識は、野菜の皮のように、むしろ削ぎ落とすことで真価を発揮します。

思考素材は、問いと火で調理されることで様々な形に昇華されます。
それが構文となることもあれば、理論や方法論、設計書となることもあります。
重要なのは、素材をどう活かし、何を引き出すかという姿勢なのです。

素材に向き合う姿勢

素材を選ぶとは、何を語りたいのか、どこを問いたいのかを決めること。
捨てるべき皮はどれか、残すべき旨味はどこにあるか。
一つひとつの思考や体験を、思想の料理へと仕上げるための第一歩が、素材の選定なのです。

すべての生成物は、素材から始まります。
それは思考の料理人にとって、最初にして最大の選択なのです。

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